義母との濃密な2ヶ月
2022年1月からブログの投稿が2ヶ月ストップしていました。
それは義母の認知症のため。
この2ヶ月の間に何があったのか、それをお伝えしたいと思います。
※海外ドラマとはまったく関係ありません。
1年前の施設入所の失敗から今まで
1年前の2021年3月、認知症の診断を受けた義母を高齢者施設へ入所させようと旦那と私は躍起になっていましたが見事失敗。
(詳しくは「ブログをストップしていた間のできごと2021」をどうぞ)
旦那はそのときの義母の思いを汲み取って、ギリギリまで今まで通り一人で暮らしていけるようにしようと決意。
施設入所を断固拒否した義母のこと、しばらくは静かに見守ることに。
しかし、緩やかに認知症は進行しているようで、あんなに綺麗好きだった義母が汚れた食器を流しに溜め込むように。
様子を見に行くたびに「今日の夜洗うから」「今度やるから」と私たちが片付けようとするのを断固拒否。
自分は物忘れはあるものの、まだまだ一人でなんでもできると信じている様子。
着ているものもだんだんかまわなくなり、髪も伸ばしっぱなし。
料理も少しはしているようですが、だんだんとコンビニのお弁当の食べ残しが目につくように。
昼か夜かもあやふやになってきていたりと、旦那も私も「これ、いつまで持つんだろうか…」と不安になってきました。
この1年での義母の変化
さっきも言いましたが、この1年で確実に認知症は進行しました。
話し相手もいない独居、日がな一日テレビを観る、お酒を飲むという義母の一日。
こちらから電話をまめにかけることはできても、頻繁に様子を見に行くことが難しい距離。
物忘れはさらにひどくなり、記憶が数分から一日でリセットされるため何か説明したり会話をすることがまぁ苦痛で…。
旦那も私も会うたびに病状が進行する義母に正直会いたくないというのもありました。
特にこの1年の大きな変化は食生活と足の悪化。
食事はほとんどコンビニのお弁当になり、半分食べては残りを冷蔵庫に保存、毎日その繰り返しで部屋や冷蔵庫にはお弁当の残骸がたくさん。
そして食の好みも変化があったようで、揚げ物や焼き肉、グラタンなどを好んで食べるように。
今までの義母からは想像できない油っぽいメニューたち…。
そこにお酒が加わって栄養バランスは滅茶苦茶。
持病があるのにお構いなし、足の痛みがひどいときだけ病院で痛み止めをもらうもののもちろん服薬はちゃんとできず。
そして病院には保険証や財布を持たずに行ってしまったり。
以前から足の下肢静脈瘤に悩まされていた義母。
原因はこれだけではないと思うのですが、常々痛いと訴えていた足がだんだんと悪化。(治療を途中放棄)
自転車に乗ることもできなくなり、買い物に行くときは自転車を押して行っていたようです。
その痛みのせいで歩くのが億劫になり、横になっている時間が長くなっていました。
益々出歩かなくなり、さらに認知症の進行が加速したように感じました。
もちろん私たちが何か助けようとすると断固拒否して怒る義母。
年末の電話をきっかけに大きく進展
そんなこんなでどうにか暮らしていた義母。
年末電話で様子を聞いたところ珍しく弱気な様子。
詳しく聞いてみると、古くからの友人から近況報告の電話があり、共通の友人の訃報を知らされます。
そして電話をかけてきてくれたその友人も高齢になり、車の運転をやめ息子さんの世話になっていると話したようです。
ちょうどそのとき、体調不良だった義母は友人の老後の暮らしや訃報を耳にし、自分はこの先どうなるんだろうと考えたようで、友人に「どうしたらいい?」と尋ねると「息子に助けてもらいな」と言ってくれたようです。
いや、今まで散々手を差し伸べてきたつもりなんですがね、義母さん…。
身内のアドバイスは断固拒否、でも第三者の意見には意外なほど素直に耳を傾ける。
これは認知症あるある?高齢者あるある?
そんなことがあって私に「このままここで暮らしていけるんだろうか。家賃が払えなくなったらどこに行けばいい?」と不安を訴えてきました。
そして義母から「施設に入ることも考えようかなって…」と言ったのです。
あの義母から施設に入るという言葉が出るなんて!とビックリ。
でも認知症の義母のこと、次の瞬間には正反対のことを言うのは日常茶飯事。
それでもこのことをすぐに旦那に報告。
旦那も「まさか…」という反応。
翌日、旦那から電話してもらい施設入所のことを聞いてみるとやっぱり「施設入ろうかと…」という返事が。
チャンス来たーーーーーー!!
まさかこんなに早く再チャレンジのチャンスが来るなんて!
お世話になってる地域包括支援センターに連絡しなきゃ、と思ったら年末年始でお休み。
年明けすぐ連絡して施設入所を進めよう!
でも義母がいつ心変わりするかが最大の心配…。
お正月は洗い物から始まった
年末の電話で義母の心境の変化を知った旦那と私。
元旦、様子を見に義母宅へ。
相変わらず何ヶ月もためた洗い物がてんこ盛りの流し台。
左脇腹や足の痛みでずっと横になっている義母は泣きながら「頭がぐちゃぐちゃで混乱する。身体もしんどくて(一人で暮らしていくのは)もう無理…」と。
施設入所の意思も変わらずだったので、とりあえず食べるものを用意し、2時間かけて大量の洗い物を片付け帰宅。
地域包括支援センターの仕事始めを待って、入所を進めることにしました。
地域包括支援センターからのアドバイス
去年の施設入所失敗後も地域包括支援センターの担当職員の方とは連絡を取っていました。
そのとき「どうしたら入所してもらえるのか?」と聞いたことがありました。
そこで言われたのは「弱っているときはアドバイスを受け入れやすい」ということ。
「弱っているとき」という言い方にちょっと笑ってしまったのですが、そのときは義母にそんなことが起きるんだろうか?と思ってました。
でもその通りになったんですよね。
さすがたくさんの事例を見てきたプロ。
私が泣き言を言っても「大丈夫、絶対見放したりしませんから」となんとも頼れる力強い言葉(涙)。
本当に本当にこの担当職員の方にはたくさん助けていただきました。
きっと旦那と私だけではどうしていいか途方に暮れていたと思います。
ちなみに旦那は一人っ子、義母の兄姉たちは遠方&高齢者のため、相談や頼ることはしませんでした。
と、ここまでが前編です。
頑なに一人暮らしを続けると踏ん張っていた認知症の義母に訪れた心境の変化。
この先、心変わりしてまた入所拒否を発動するのか?あっさり入所できるのか?旦那と私はどこまで振り回されるのか?
後編ではその後のあれこれを紹介したいと思います。
1年前の高齢者施設への入所が見事失敗した話はこちら↓
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